吾輩のブログ。名前はまだ無い。

田舎暮らしのアラフォーが送るただの日常

女性に恋をした女の話(第四話)

アラサー女がアラサー女性のA子に恋をした話。

第四話を始めます。

A子に突然告白めいたことを言われ、困惑した私はA子を連れてショッピングモールの近所にある公園までドライブすることに。

女性に恋をした女の話(第三話)

自己嫌悪に陥る年上のアラサー

公園まで車を走らせ、駐車場に車を停めたものの。

どうすればいいのか分からない。

どうしよう、何を話せばいいのだろう、さっきのA子の言葉はどういう意味だったのだろう…。

などとドギマギしていると、突然助手席のA子が「くすっ」と吹き出した。

「ねえ、貴女からドライブに誘ったんでしょ?何か話そうよ笑」

いやいやいや、話そうと言われても、何を話せばいいのか…。

と、相変わらずドギマギしている私の心情を察してか、A子が話し出した。

「まあ、でもさっきの私の話し方は気になるよね。うん」

ズバリ核心に触れてきた。

そして続ける。

「私ね、貴女のことが恋愛対象として好きなんだと思うの」

「…え」

あまりにストレートな物言いに、私は拍子抜けするよりほかなかった。

「貴女と会えない間に、何をやってても手につかなくて。いま何やってるのかな、とか。一緒にここ行きたいな、でも勉強頑張ってるのかな、邪魔しちゃ悪いかな、なんていつも思っちゃってさ。ああ、私って貴女のこと本当に好きなんだなって思ったの」

さらにA子は、好きな人がいてそれが女性だということを自身の母親にも打ち明けたという。

「そしたらお母さん、大反対でさ。結婚もできないし子供も産めないのに、どうするの。養子?そんな子愛せるの?なんて言われちゃって」

私は何も言えなかった。

そして次の言葉で打ちひしがれた。

「何よりね、私、貴女が”そういう人”だと世間から見られるのが耐えられない」

”そういう人”という言葉を聞いた瞬間、ああ、これはもう無理な恋なんだと悟った。

A子のお母さんが大反対ということもあるが、A子自身も同性の私に恋をしていることに嫌悪感を抱いていたのかもしれない。

”そういう人”というニュアンスには、A子の様々な思いを感じさせた。

もう、A子と私にこれ以上の未来はない。

しかし、A子がこんなに真剣に思っていてくれたこと、そして自分の母親にも好きな人がいるが同性だということを打ち明けてくれていたこと、まったく知らなかった。

年上の私は、A子への恋心をただひた隠しにしようとしていただけなのに。

自分の気持ちに真摯に向き合ってくれていたA子に対し、私は逃げていただけだった。

こんなにも自分のことを情けなく思ったことはない。

私は何も言えないまま、公園から見える夕暮れ時の街並みをただ見つめているだけだった。

A子のあの眼差しは今も脳裏に焼き付いている

微妙な沈黙が続いた。

どうしようもなく情けない私は、どんな言葉を紡げばいいのかわからないままだった。

またも沈黙を破ったのはA子だった。

「でもね…」

その言葉は、涙声だった。

思わず私は助手席のA子をハッと見つめた。

「大好きなの…」

A子は涙をいっぱいに溜めた目で、まっすぐ私を見て言った。

「…私も…」

情けない年上アラサーの私は、こう伝えるのがやっとだった。

しかし、心の内側からはA子を抱きしめたい、キスしたいという欲望が溢れ出てきて止まらなかった。

自分の右手をA子の頬に差し出したその瞬間、A子の左手にやんわりと阻止された。

「…ごめんね…」

俯いたA子は私の右手を軽く握りながら言った。

「もう、会わないほうがいいね…」

「子どもが欲しい」と言われたら

A子は声を震わせながら続けた。

「私、自分の子どもを産むのが夢なんだ」

そりゃそうだよな、と妙に冷静な気持ちでその声を聞いている自分がいた。

「…だから…」

それ以上、A子も私も何も言わなかった。

私も、A子ももう30歳が見えている。

A子の「子どもが欲しい」という、女性としては至極当たり前な夢を、女の私がこれ以上邪魔する訳にはいかない。

「そろそろ行こうか」

私はそう言うのがやっとだった。

公園からA子の車が置いてある、ショッピングモールへと車を走らせた。

(最終話へつづく)

 

女性に恋をした女の話(第三話)

アラサー女がアラサー女性のA子に恋をした話。

第三話になります。

久々に会ったA子は服装も雰囲気もガラッと変わり、モヤモヤとした気持ちを抱えつつもショッピングモールでの買い物を楽しみ、休憩にカフェに入ることに。

女性に恋をした女の話(第二話)

なぜ女の子らしい服装を?

カフェでA子とふたり、他愛ない会話をしてまったりと過ごすも、心はどこか落ち着かない。

思い切ってA子に聞いてみた。

「ねえ、今日女の子らしくてすごくかわいいね。雰囲気もいつもと違うし、どうしちゃったの?なんかあった?笑」

つとめて明るく冗談交じりに聞いてみたものの、A子からの回答を待つ間ドキドキが止まらなかった。

彼氏が出来たと打ち明けられたらどうしよう…。

すると、A子はモジモジしつつ口を開いた。

「…えっと、だってふたりで会うの久しぶりだし。前に貴女が女の子らしい服装が好きみたいなこと言ってたから…」

ん?それってどういう…。

疑問に思い、ズバリ聞いてみた。

「彼氏が出来たわけではないの?」

「何言ってんの。出来るわけないでしょ。今日だって久々に会えるからって、貴女好みの服装にしてきたのにさ。そういうこと聞くんだ」

A子は少しムッとしながらも、続けた。

「…あのさ。ここしばらく会えないときもずっと貴女のことを考えてて…。何してるのかなとか、勉強頑張ってるのかな、とか。会いたくて仕方なかったの。ごめんね。こんなこと言って。気持ち悪いよね…」

A子も同じ気持ちだった?

週末のショッピングモールは人通りも多く、ガヤガヤと落ち着かなかった。

私たちが入ったモールのカフェも、家族連れやカップルや友達同士の会話で溢れかえっていた。

A子から突然告白(?)をされた私の脳みそは、パニックを起こし、さらにそれを助長させるかのようなカフェの喧騒によって思考がままならなくなっていた。

A子はいったい何を言っているんだ。

それって私のことが好きってことなのか?

会えないとき、A子も私と同じ気持ちだったってこと?

「気持ち悪いよね…」って。

つまりそういうことなのか?

ふと、カフェ内の喧騒がひときわ大きくなっていたのに気づいた。

午後3時過ぎ、モール内のお客も買い物に疲れてきて休憩場所を求める時間帯だ。

店に入れず、順番待ちをしている人も店外の椅子に5~6名座っているのが見える。

はからずも話を切り上げるきっかけが出来たため

「混んできたから、出ようか」

とA子に言い、ふたりでカフェをあとにした。

ドライブへ行くことに

そのあとは気まずい無言が続いた。

どの店を見るではなく、ウロウロとモール内を歩き回るA子と私。

いたたまれなくなり、A子に提案をした。

「ねえ、時間が大丈夫ならさ。ドライブでもいかない?」

A子も助け舟を求めていたのだろうか、

「うん、行こう」

と間髪をいれずに返事が。

2人とも自分の車で来ていたので、ひとまずA子の車はモールの駐車場に置かせてもらい、私の車でドライブへ行くことにした。

ドライブと言っても、もちろん当てなど決まってはいない。

近くに見晴らしの良い公園があるのを思い出し、とりあえずそこに行こうかと車を走らせた。

向かう道中も会話はほとんど弾まない。

疲れたねー。とか、色々見れてよかったねー。

などという他愛もない話をして、公園までの約10分間を運転した。

その間、2人とも心の奥にある核心には触れないようにしていた。

(第四話へつづく)

 

女性に恋をした女の話(第二話)

同性に恋をした女の話、第二話。

社会人になって出会った、A子についての話の続きをしよう。

女性に恋をした女の話(第一話) -

気づけばA子のことばかり考えるように

A子と会う頻度が増えるにつれ、私はA子のことばかりを考えるようになっていた。

これA子が好きそうなお菓子だな。

今度一緒に食べようかな。

ここ、A子と一緒に行きたいな。

それは、しばらく封印していた「恋心」そのものだった。

また人を好きになってしまった。

しかも女の子。

付き合ったとて、先が見えない。

女性の幸せは結婚や出産が全てでは無いとはいえ、これ以上好きになっても、仮に付き合ったとしても、相手も自分も苦しいだけの気がする。

気づくと涙が止まらなかった。

しかし、感傷に浸っているのは私だけで、A子にとっての私はただの友達に過ぎないはず。

次第にA子との友達関係について、悩むようになっていた。

A子と距離を置くように

悩んだ末、私はA子と会う頻度を減らすようにした。

会いたくないわけではない。

もちろん会いたいのだが、会うたびに苦しくなるのは分かっていた。

仕事が忙しいだの、資格試験の勉強をしなくてはならないだの、色んな言い訳をして極力会うのを避けていた。

幸いと言っていいのか分からないが、A子の方も仕事で県外出張に行くようになり、自然とふたりで会う機会は減っていった。

しかし、会っていないときも考えるのはA子のことばかり。

いずれにしても、つらい。

取得しようとしていた国家資格の勉強にも身が入らず、その年の試験は落とした。

A子と久々に会ったときのこと

それでも仲が悪くなった訳では無い。

会えない時もお互いメールのやり取りはしていた。

「私の試験が終わったら会おう」

と約束していたので、約2ヶ月ぶりにA子と会った。

とあるショッピングモールでいつものように遊ぶ約束をしていたのだが、A子にしては珍しく遅刻をした。

何かあったのかと心配をしていたのだが、現れたA子を見て驚いた。

いつもA子はボーイッシュでカジュアルめな服装なのだが、その日のA子は珍しくスカートを履き、髪の毛も巻き髪にしていた。

こんなに女の子らしいA子を見るのは初めてだったので面食らっていると、

「ごめんね、待たせて。普段こういう格好しないから慣れてなくて…どうかな?似合う?」

と、顔を赤らめながら聞いてきた。

うん、すごく似合うよ。かわいい。

と答えたものの、正直なところ似合う、似合わないはどうでもよかった。

どうしたんだ、そんな格好をして。

しばらく会っていなかったから、服装の趣味が変わったのだろうか。

それとも、彼氏でもできたのだろうか…。

心の中はモヤモヤでいっぱいだった。

モヤモヤしつつも買い物を楽しみ、歩き回って疲れたのでお茶でもしようかとモール内にあるカフェで休憩することにした。

(第三話につづく)

 

女性に恋をした女の話(第一話)

30歳くらいのとき、同性に本気で恋をしたことがある。

今回はその話をしようと思う。

男性に恋愛感情を抱けなかった幼少期

私はいちおう、女性として生まれてきた。

ごく普通に幼稚園に通い、小学校へと進学した。

小学校も3年生か4年生になると、友達との間でいわゆる恋バナが出てくるようになる。

「好きな人いる?」

「○○くん、カッコイイよね」

というようなお決まりの話題だ。

しかし、私はその話にまったくついていけない。

「好きってなんだ?男子を好きってことなのか?わからん…わけがわからん…」

同じクラスには仲のいい男子もいたわけだが、私は彼らのことは友達としか思っておらず、好きだとかカッコイイだとか思ったことはなかったのだ。

そんなある日、東京から一人の女の子が転校生としてやってくることになった。

「ねえ、今日から転校生が来るんだって」

「どんな子なのかな?」

クラスでは、今日からやってくる転校生の話題でもちきりだった。

と、ガラッと教室の扉が開き、担任に連れられて転校生の女の子が入ってきた。

その瞬間、私の目はその子に釘付けになった。

「か、かわいい…」

「初めまして、東京の学校から来ました田中ゆみこ(仮名)です」

私の初恋と一目惚れは、転校生のゆみこちゃんだった。

と同時に、

「ああ、これがみんなの言う好きって感情なのか…」

かねてから謎に思っていた「好き」という感情に対しても、すっと腑に落ちたのも覚えている。

それから小学校卒業までゆみこちゃんには片思いしていたわけだが、忙しい中学生活を送る中、いつの間にかその気持ちもどこかへ消えていた。

いちおう男性と付き合ったこともある

ゆみこちゃんに一目惚れして以降、中高校生の頃も専門学生の頃も、好きになる子はほぼ女子だった。

向こうから好きだとかなんだとか言ってくれる男子もいなくもなかったが、こんな私を好きだとかいうなんて。

冗談も程々にしろと思い、

「またまたぁ笑」

みたいな感じ適当にあしらってしまっていた。

今から思うととても申し訳ない。

向こうは真剣に思いを伝えてくれていたのかもしれないのに。

ちなみに社会人のころ、非常に真剣に思いを伝えてくれた男性とお付き合いしたことがある。

彼のことは人として好きだったし、尊敬していたので

「嫌いじゃなければ付き合ってみるか」 

くらいの軽い気持ちだったと思う。

そこにはかつて「ゆみこちゃん」に抱いた、ドキドキするような恋心はまったくなかった。

彼のほうはというと、私に対して恋心を抱いてくれているのは痛いほどに伝わってきた。

それが、地味につらくもあった。

私が彼に恋心を抱けなかったことだけが原因だとは思わないけれど、次第に彼とはうまくいかなくなっていった。

結局、交際2年目に入ってしばらくした頃に彼とは別れた。

余談だが、別れた途端に悩んでいた肩こりが一気に治ったので、彼との交際はけっこう無理をしていたのだと思う。

そこから、誰かと付き合いたいとか一緒にいたいとかいう気持ちが、私の中から殆どなくなっていった。

当時のわたしは意識していなかったが、あえて自分の中から恋愛感情とか恋心とか、そういったものを消し去ろうとしていたのかもしれない。

アラサー女、アラサー女性と出会う

彼と別れてから数年経った頃、ひとりの女性と出会った。

気づけば私は28歳になっていた。

仕事関係で知り合ったその女性は、私より少し年下で26歳だった。

最初は仕事の話を色々と交わしているだけだったのだが、次第にプライベートなことも話すようになり、意気投合。

気づけば、ちょくちょく飲みに行ったり遊びに行ったりするような仲になっていた。

分かりやすくするため、以後は仮名A子としよう。

A子と一緒に過ごす時間が増えるにつれ、私の中で彼女の存在が特別なものになっている自覚があった。

しばらく消し去ろうとしていた「恋心」が再び芽生えようとしているのを、私の心の奥底で感じとっていた。

(第二話に続く)

腰痛予防に「みんなの体操」が効果あるかも

「みんなの体操」という体操をご存知だろうか。

NHK総合で平日9時55分から5分間やっている、ラジオ体操のような体操だ。

私はこの「みんなの体操」をここ数ヶ月、毎日おこなっている。

すると、さまざまな効果が身体にあらわれてきたので、今日は「みんなの体操」について紹介したい。 

みんなの体操とは

NHKのHPによると、「みんなの体操」は次のように解説がある。

高齢の方、また身体の不自由な方も気軽にでき、椅子に座ったままでも行うことができます。 ゆっくりしたテンポでかつ、全身を十分に動かせるように構成しています。 全身の筋肉、とりわけ萎縮しがちな筋肉を伸ばし、血行促進をはかります。

www.nhk.jp

ラジオ体操と比べると強度も低く、高齢の方や体の不自由な方でも気軽にできる体操のようだ。

「みんなの」と言っているくらいなので、幅広い方々に向けた体操であることが分かる。

www.youtube.com

実際に「みんなの体操」をやってみるとわかるが、そんなに激しい運動ではないので誰でも簡単にできる。

ちょっと運動不足だな、と感じたときなどに体操をすると、ほどよく筋肉がほぐれて血行もよくなり、ちょうどいい運動になる。

「みんなの体操」をやってみて感じたメリット3選

私がみんなの体操を毎日やるようになったきっかけは、持病の腰痛を改善したかったからである。

正直、腰痛がかなりひどいときにはこの「みんなの体操」ですらままならないほどだった。

しかし、少し腰痛がよくなってきたころからできる限り毎日「みんなの体操」をおこなうようにしたところ、3つほどメリットを感じたのでご紹介したい。

メリット1:腰痛が改善された

まず、本来の目的だった「腰痛改善」は、みんなの体操を毎日行うことで大幅に改善された。

リハビリやウォーキングも並行して行っていたので複合的に効果があったのかもしれないが、体を動かすきっかけにもなったのは「みんなの体操」だったといっても過言ではない。

とくに6番目の運動は背中や腰の筋肉を強化する効果があるようなので、それも効果的だったのかもしれない。

いずれにせよ、長年悩んでいた腰がラクになってきたのは本当にありがたいことである。

メリット2:呼吸が安定してきた

ここ数年、腰痛の影響もあるのか呼吸が浅く苦しく感じることが増えてきていた。

美容院や歯医者に通うのも怖く、酷いときは車を運転するのも少々怖かった。

通っている心療内科の先生によると、パニック障害気味かも、とのこと。

セロトニンが低下することにより、そのような症状が出ることもあるらしい。

「運動不足でもパニックが出ることがあるよ」

と先生に言われたので、腰痛改善も併せて「みんなの体操」をせっせとやってみようと。

すると、少しずつ呼吸が安定してきた感じがあった。

美容院と歯医者はいまだに怖さもあるが、車を運転するのはほぼ平気になった。

やはり体を動かすことで、少しずつ効果が出てきたのかもしれない。

メリット3:血行が良くなった

冬、私が住む信州は氷点下の厳しい寒さとなる。

寒いとどうしても体を動かすのも億劫になり、そうすると血行も悪くなり手足が冷たくなる。

しかし、今シーズンは毎日「みんなの体操」をやっていたおかげか、ひどく手足が冷たくなるということはなかったように思える。

それに、体操をやった後はほどよく筋肉もほぐれて体もポカポカしてくる。

寒くて体を動かしにくくなる冬にも、ぜひおススメしたい体操だと思った。

腰痛でお悩みなら「みんなの体操」やってみる価値あり

「私はみんなの体操のおかげで、腰痛が治りました!」

などと、深夜のテレフォンショッピングのようなノリでおススメするつもりはない。

腰痛が改善されたのも「みんなの体操」だけが要因か分からないからだ。

しかし、長年ヘルニアによる腰痛に苦しんで、ようやくここ数ヶ月で改善されてきた。

やったことといえば、整形外科のリハビリ、ウォーキング、そして「みんなの体操」くらいだ。

もしあなたが腰痛でお悩みなら、「みんなの体操」をやってみてもいいかもしれない。

ただし。

強度の低い運動なので腰痛が悪化する可能性も低いと思われるが、そこはあくまで自己判断でお願いしたいです。

錣山親方が…

12月17日の夜22時頃だっただろうか。

ひとつの衝撃的なウェブニュースが目に飛び込んできた。

元寺尾の錣山親方(60)が逝去

寺尾関といえば、ソップ形の筋肉質な体型が特長のお相撲さんだった。

当時小学生だった私は、お相撲さんと言えばいわゆる「アンコ型」の、お腹が大きく張り出たお相撲さんをイメージしていた。

あの頃は小錦関も現役だったのでなおのこと、お相撲さんイコール大きくお腹の出た体型というイメージが強かったのかもしれない。

そんな中、寺尾関の逞しく引き締まった体型とハンサムな顔立ちは、小学生ながらにも「かっこいいお相撲さんだな」と印象に残っていたのだ。 

幼少期のあだ名を弟子の四股名

寺尾関の幼少期のあだ名は「アビ」

赤ちゃんだった寺尾関を見た外国人が「a baby」と言っていたのを、兄が「アビ」と勘違いしたというのが由来らしい。

時は経て自身が錣山親方として部屋を持ち、弟子を迎え、そのうちのひとりに「アビ」という四股名をつけたというのは、ユーモアたっぷりなお茶目な人柄を感じる。

阿炎関自身も思わず「えっ、アビっすか笑」と言ったとか言わないとか。

弟子の不祥事にも寛大な心で

そんな阿炎関。

2020年の7月場所中、新型コロナウイルスガイドライン違反により、三場所の休場という懲戒処分を受けることとなる。

7月場所の7日目だっただろうか。

休場となったその日の大相撲中継は、向正面の解説が錣山親方だった。

「阿炎が新型コロナウイルスガイドラインに違反していたことが分かりましたので、本日より休場させました」

このような内容を話していた錣山親方の、悔しそうな湧き上がる怒りを隠しきれないような沈んだ声は、今もよく覚えている。

それでも協会が引退届を受理せず、3ヶ月の懲戒処分という措置を下したことについては「寛大な対応でありがたい」とコメント。

「私の監督責任の問題です。悪い人間ではないが、お子様でただ明るいだけだから、はめを外してしまう。周囲にどれだけ迷惑をかけたか、よく考えて反省してほしい」

と弟子の不祥事に、親方自身も厳しくも優しい寛大な心で受け止めていたのをよく覚えている。

阿炎関の優勝は病床で

阿炎関はそれから幕下まで陥落した番付を順調に幕内の位置まで戻し、2022年の11月場所に幕内最高優勝を遂げる。

その時の阿炎関の優勝インタビューで、初めて錣山親方が入院していることを知る。

「師匠は入院中なので…」

えっ、そうなんだ。

どこか悪いのかな…と心配になったと同時に、きっとこの目で優勝を見届けたかったよね。

無念だったろうなと。

それでも、テレビ越しにも弟子の優勝はひとしおだったようで。

「おまえ、心臓で入院してるのにこれ以上ドキドキさせるなよ笑」

などと、冗談混じりで阿炎関に電話して優勝の喜びを伝えていたようだ。

阿炎関は師匠に恵まれたよね

先述の不祥事しかり、阿炎関は少々やんちゃな面もある力士だが、このやんちゃぶりを受け止められたのも錣山親方だったからではないだろうか。

生前錣山親方は、

「おれの顔にいくら泥を塗ってもらっても構わない。阿炎は好きなようにやれ」

というようなことを言っていたとか。

これ、もし他の部屋ならどうなっていたのか。

もしあの部屋のあの親方なら、この部屋の親方なら、なんて言うのかな。

などと余計な想像をしてみるのだが、想像すればするほど

「阿炎には錣山親方しかありえない」

のである。

あのやんちゃ坊主を、あそこまでのびのびとやらせてあげられるのは錣山親方意外にいないのではないか。

事実、懲戒処分明けの幕下からの再出発後は、阿炎関は人が変わったかのように真摯に相撲に向き合っていた。

また錣山親方のほうも、阿炎関のことは可愛くて可愛くて仕方がなかったのだろう。

自身の幼少期のあだ名を四股名にするくらいなのだから。

「まったく。こっちに来てまであんまり心配かけんな。

しっかりやれよ?」

と、かつて手を焼いたやんちゃ坊主を、天国から優しく見守る錣山親方の笑顔が容易に想像出来る。

かっこよかった寺尾関よ。安らかに。

私の相撲熱はここ3年ほどで高まったのだが、思い返せば相撲に興味を持ったのは小学生の頃。

若貴ブームもあり世間の相撲熱も相当だったのもあるが、とくに寺尾関は印象にのこっている。

ハンサムな顔立ちに、ソップ型の引き締まった体型、そして力強い突っ張り。

すべてがかっこよかった寺尾関。

私が相撲に興味を持ったきっかけは、寺尾関だったのかもしれない。

60歳というのはあまりにも早すぎるが、寺尾関、錣山親方の教えは今後もしっかりと受け継がれていくことであろう。

どうか安らかに。

2023年ももう終わり

2023年も、残すところあとひと月。

月日の経つのは、こんなに早かっただろうか。

光陰矢の如しということわざの意味が、身に染みて分かるような年齢になってしまったようだ。

ここが痛い、あそこが痛い、あら全部

これは最近、シルバー川柳で見かけた一句である。

まさに、今年はこの状態だった。

腰の痛みに始まり、神経痛、肩の張りに頭痛。

ここも痛いし、あそこも痛い。

気づけば「あら全部」だった。

加えてメンタル面でも過呼吸パニック発作を起こしたりと、年間を通じて身体の不調に悩まされた一年だった。

年齢を重ねることは自然なことであるが、こうも不調が続くと「うんざり」である。

生きて新年を迎えられたら、もうそれだけでいい

若い頃は物欲も旺盛で、あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しいもっともっと欲しい、と、まるで何かの楽曲の歌詞にあったかのような生活をしていたかもしれない。

しかしもうアラフォーともなると、そのような物欲もかなり減った。 

欲しいものもほとんどない。

「健康」であれば何でもいいのだ。

今まで、生きて新年を迎えられることなんて当たり前かのように感じていた。

「ああ、また新しい年を迎えようとしているのに、私はいったい何をしていたんだろうか」

などと、老いていくのを嘆かわしく思ってすらいた。

しかし、生きて新しい年を迎えられなかった人だって当然いるわけで。

ましてや健康な身体で新年を迎えられるなんて、当然なことではないのだ。

誠に有難いことだと噛み締めつつ、あとひと月ある2023年、「うっかり階段を踏み外した」「深酒をして体調を崩した」などとドジなことをしないよう、留意して過ごしたいものだ。