吾輩のブログ。名前はまだ無い。

田舎暮らしのアラフォーが送るただの日常

人生で一番古い記憶

お題「人生で一番古い記憶」

 

なんだか面白そうなお題を見つけたので、わたしの人生で一番古い記憶について書こうと思う。

 

おでこをザックリと切った3歳

あれは3歳のとき。

季節までは記憶にないが、さほど暖かくもない時期だった。

時刻は夜の8時頃。

3歳のわたしは、実家のリビングで父親と野球に興じていた。

今から思えば家の中で野球なんてするもんではない。

「野」球なのであるから、そもそも外でプレイする競技なのである。

家の中でするそれは「家」球と言ってもいいのかもしれない。

それはさておき。

野球は大いに盛り上がっていた。

わたしはご機嫌でボールを打ちまくり、そんなご機嫌な私を見て、父の目尻も下がりっぱなしだったことであろう。

そんなときのこと。

父の投じたゴムボールを、プラスチック製のバットでポンと打ち返すと、ボールはリビングのドアー方面へと飛んでいった。 

過保護な父親は

「おお、すごいぞ、走れ走れ!」

と勝手にヒットと判定し(本来の野球であれば、センターフライでアウトとなるような打球である)、浮かれたわたしはキャッキャと嬉しそうに一塁ベース、二塁ベースを踏んで周り、三塁ベースを踏もうとしたそのときのこと。

チラシで滑って大転倒

三塁ベースの手前に、どういうわけか新聞の折り込みチラシが落ちていたのである。

というか今から思うと、単細胞な父親は三塁ベースそのものに「これでいいや」とチラシを使っていたのかもしれない。

ともあれ、ツルツルと光沢のあるタイプのチラシと、カーペットとでは滑りやすさが抜群。

キャッキャと浮かれながら、チラシを踏んづけて駆け抜けようとした3歳のわたしの身体は、見事に三塁ベース前方へと投げ出された。

そこに待ち受けていたのは、母親が使っていた洗濯カゴ。

なぜ洗濯カゴがそこにあったのか、なぜプラスチック製の洗濯カゴくらいで怪我をしたのか、謎な部分はあるものの、ともかくわたしはその洗濯カゴに額を強打したのである。

なぜか出血はなかったが、病院へ

わたしの記憶は、いったん洗濯カゴへ突っ込んでいくシーンで途切れる。

ここから病院へ行くまでは、両親から聞いた話がもとになる。

派手に突っ込んだ割には、なぜか出血はなく患部が凹んでいた。

3歳のわたしは泣きもせず、ただ呆然としていた。

「一応、病院に連れていくか」

近所に総合病院があったので、父親の運転する車で向かった。

時間的に、時間外診療で診てもらうことに。

わたしの顔を見て医師がひと言。

「この子は女の子ですか?男の子ですか?」

完全に父親に似て男顔、しかも眉毛は濃く繋がって一直線なのだから、そう言われても無理もない。

「女の子ですっ」

少々ムキになって母親が伝えると

「女の子なら、縫っておきますか。傷跡が残っちゃ可哀想だから」

というわけで、3歳にして額の縫合処置を受けることになったのである。

殺されると思った3歳女児

ここから、わたしの記憶は再開する。

わたしは処置台に載せられ、縫合処置をする部屋へ運ばれた。

そこは完全に無機質な部屋だった。

壁は真っ白で何の暖かみもなく、入り口にはスーパーなどでよく見かける、シルバーでパタパタと開閉するタイプの扉がついていた。

天井にはドラマの手術シーンなどでも見る、明るい手術用のライトが。

3歳女児の不安を煽るには、充分すぎる環境である。

すると、シルバーのパタパタ扉から看護師さんふたりと当直の医師、計3人の見知らぬ大人が「さあ、やるぞ」と言わんばかりに、限りなく事務的にスタスタとこちらへ向かって歩いてきた。

その光景は、3歳女児の精神をパニックに陥れた。

(殺される…!)

本能的に危険を感じたわたしは、泣き、そして暴れた。

暴れる3歳児を、冷静な看護師ふたりが処置台に押さえつける。

しかし、男児なみに暴れん坊なわたしは、看護師2人がかりでも押さえつけるのにひと苦労。

(やめろ!まだ死にたくない!)

暴れまくった先には、例のシルバーのパタパタ扉があったのを覚えている。

(あそこから出て帰らせろ!ふざけるな)

まだ人生3年しか経験していない人間を、こんな目に合わせるなんてここにいる大人全員どうかしている。

もちろん両親もだ。

恨めしい気持ちでいると、暴れん坊3歳女児に四苦八苦していた看護師が叫ぶ。

「お父さんとお母さんも押さえて!」

結局両親も加わり、大人4人がかりでわたしを押さえつけ、縫合処置は進められた。

わたしの記憶はここまで。

無事縫合処置は終わり、そのあと家に帰ったのだろう。

あとから聞いたところ、縫ったのはたったの3針だったので、大した縫合でもなかったのだと思う。

以上、わたしの「人生で一番古い記憶」である。

余談だが、「女の子なら縫うか、傷跡になったら可哀想だし」と言って縫ってくれたにも関わらず、アラフォーになる今もなお、額にはうっすらと傷跡が残っている。