吾輩のブログ。名前はまだ無い。

田舎暮らしのアラフォーが送るただの日常

お相撲さんに勇気をもらうヘルニア女

わたくし、実は相撲が好きである。

しかしまだファン歴としては浅い。

相撲好きとなったきっかけは後ほどお話しするが、ここ数年けっこう相撲にハマっている。

ああ、愛しのお相撲さんたちよ

「相撲の何がいいんですか?」

相撲好きだと公言すると、たびたびこのような質問をされることがある。

そして、返答に困る。

相撲の何がいいって、乱暴な言い方をすれば「すべて」である。

なんの道具も使わず、自分の身体ひとつで相手に向かっていくという、競技のシンプルさがまずわかりやすくていい。

さらに土俵入りや取り組みの時の伝統的な所作、行司さんや呼出さんの立ち振る舞い。

毎日毎日、お相撲さんの丁髷や大銀杏を結い続ける床山さんの存在。

厳しい稽古に耐え、優勝して涙するお相撲さん、断髪式を迎えて感慨深げなお相撲さん。

それらすべてが、愛おしいのだ。

関取になるまで給料なし

しかし、お相撲さんの世界は厳しい。

これも相撲にハマりだしてから知ったことだが、幕下以下のお相撲さんには、給料が出ないというではないか。

幕下以下の力士は関取ではないので養成員と言われています。この力士のほとんどを占めている幕下、三段目、序二段、序ノ口の力士には給与はありません。年に6回開催される本場所ごとに場所手当が支給されます。幕下が16万5千円で、年に6回なので99万円です。三段目が11万円で、年に66万円。序二段は8万8千円で、年に52万8千円。序ノ口が7万7千円で、年に46万2千円が支給されます。

www3.nhk.or.jp

一番番付が上の幕下力士ですら、年間99万円の手当とは…。

高校生のアルバイトでも、もっともらっている子もいるのでは。

これでは、とてもじゃないが生活できないのではないか。

しかしこう続く。

それだけでは暮らしていけないと思うでしょうが、幕下以下の力士は相撲部屋の大部屋で生活していて、食費、家賃は一切必要ありません。この場所手当を生活費に充てる必要はないのです。

さらに、着物や履物などの衣料品も部屋から支給されるのだとか。

それなら、まあ、なんとか生活はできるか…。

いやはや、それにしてもお相撲さんの世界は厳しい。

お相撲さんの一日

いったい、お相撲さんはどのような一日を過ごしているのだろうか。

時津風部屋のHPを参考にさせてもらったところ、おおむね下記のようなタイムスケジュールのようだ。

  • AM6:00  起床
  • AM7:00~ 稽古
  • AM9:00~ 関取稽古
  • AM10:30  稽古終了
  • AM11:00  昼ちゃんこ
  • PM14:00  昼寝・休憩
  • PM16:00  掃除・ちゃんこ番
  • PM18:00  夜ちゃんこ
  • PM19:30  自由時間
  • PM23:00  消灯

www.tokitsukazebeya.jp

 

めちゃめちゃハードではないか。

しかも、番付が一番下のお相撲さんから早く起きて稽古場の支度をしたり、関取が入るお風呂の準備をしたりなど、おそらくここには書ききれない仕事もたくさんあるようだ。

お金がすべてではないけれど、もうちょっと手当を検討してあげてもいいのでは…。

しかしまあ、「悔しかったら一日でもはやく関取になれ」ということなのかもしれない。

わたしが知った顔でああだこうだと言うことでもないよね。

コロナ禍、霧馬山関の健気な姿に勇気づけられた

わたしの話を少々。

実家は田舎で小さな飲食店を営んでいる。

数年前よりわたしもこの小さな飲食店を手伝っていたが、ちょうど新型コロナウイルスの大流行の時期と重なり。

お客さんも売り上げも激減、このままどうなるのだろうかと、非常に不安で苦しい時期を過ごした。

そんな中、ふとテレビでNHKを付けるとお相撲をやっていた。

しかも、新型コロナウイルス対策のために無観客。

行司さんの声と、力士同志が激しくぶつかる音、息遣いしか聞こえない。

しかし、それにわたしは魅了された。

なんと素晴らしい世界なのだと。

そう、わたしの相撲好きはここから始まった。

厳密にいえば小学校の頃、ちょうど若貴ブームもあってよく祖母と相撲中継を夢中で見ていたが、今ほど「お相撲が大好き!」というわけでもなかった。

強いて言えば、呼出さんや行司さんの仕事に興味を持ち「わたしもやりたい」と祖母に言ったら「女は無理じゃ」と言われて意気消沈したくらいか。

ともかく、大人になって相撲に魅了されてからは毎場所が楽しみとなった。

とくにコロナ禍では、霧馬山関(現:霧島関)には勇気づけられたのを覚えている。

霧馬山関の稽古熱心なところ、誠実そうな性格はテレビの画面越しにも伝わってきたが、とくに印象的だったのが霧馬山関が初めての「これより三役」に挑んだときのこと。

初めてのことで「これ三」の所作が不安だったのだろう、同じ花道に控えていた正代関に、所作の確認をするため教えを乞うようなシーンが中継された。

しかも、その後の取り組みでは正代関は大事な一番を控えていて、精神的にはピリピリしていたはず。

(正代関が優勝した場所だったかな…。忘れてしまって残念)

画面越しのわたしが見ても、正代関はかなり集中していて話しかけるなオーラも出ていたように見えた。

その正代関に果敢に話しかけ、わからないところを素直に教えを乞う霧馬山関の姿に胸を打たれた。

「わたしが霧馬山関の立場だったら、正代関の話しかけるなオーラに飲まれていたよな…」

そこから、霧馬山関の稽古の動画をYouTubeで見たり、相撲中継では霧馬山関の姿を目で追ったり。

見れば見るほど、彼の稽古熱心で実直な性格が伝わってきた。

「霧馬山があんなに頑張っているのだから、わたしも頑張ろう」

と、コロナ禍では霧馬山関に勇気づけられて頑張ってこれたと言っても過言ではない。

余談だが、わたしは頑張りすぎたのかそれとも長年の飲酒が祟ったのか、しばらく腰椎椎間板ヘルニアに苦しむこととなる。

これはまた別の記事にちょこちょこ書いてあるので、興味のある方はそちらも見てください。

アラフォー女のヘルニア話など、興味ないか。

これからもお相撲好きでありたい

現在、わたしの推しの力士はというと。

郷土力士の御嶽海関、岡谷市出身の二所ノ関部屋所属の林兄弟、下諏訪町へ合宿に来てくれた荒汐部屋のお相撲さんたち、そして霧馬山関改め霧島関などなど、たくさん推しがいて困る。

いや、推しがたくさんいたほうが、楽しみが多くてとくに困ってもいない。

大相撲観戦は、年齢を重ねても楽しめる。

これからもお相撲さんから元気や感動をもらいつつ、末永くお相撲を楽しみたい。

最後までお読みいただきありがとうございました。