12月17日の夜22時頃だっただろうか。
ひとつの衝撃的なウェブニュースが目に飛び込んできた。
元寺尾の錣山親方(60)が逝去
寺尾関といえば、ソップ形の筋肉質な体型が特長のお相撲さんだった。
当時小学生だった私は、お相撲さんと言えばいわゆる「アンコ型」の、お腹が大きく張り出たお相撲さんをイメージしていた。
あの頃は小錦関も現役だったのでなおのこと、お相撲さんイコール大きくお腹の出た体型というイメージが強かったのかもしれない。
そんな中、寺尾関の逞しく引き締まった体型とハンサムな顔立ちは、小学生ながらにも「かっこいいお相撲さんだな」と印象に残っていたのだ。
幼少期のあだ名を弟子の四股名に
寺尾関の幼少期のあだ名は「アビ」
赤ちゃんだった寺尾関を見た外国人が「a baby」と言っていたのを、兄が「アビ」と勘違いしたというのが由来らしい。
時は経て自身が錣山親方として部屋を持ち、弟子を迎え、そのうちのひとりに「アビ」という四股名をつけたというのは、ユーモアたっぷりなお茶目な人柄を感じる。
阿炎関自身も思わず「えっ、アビっすか笑」と言ったとか言わないとか。
弟子の不祥事にも寛大な心で
そんな阿炎関。
2020年の7月場所中、新型コロナウイルスガイドライン違反により、三場所の休場という懲戒処分を受けることとなる。
7月場所の7日目だっただろうか。
休場となったその日の大相撲中継は、向正面の解説が錣山親方だった。
「阿炎が新型コロナウイルスガイドラインに違反していたことが分かりましたので、本日より休場させました」
このような内容を話していた錣山親方の、悔しそうな湧き上がる怒りを隠しきれないような沈んだ声は、今もよく覚えている。
それでも協会が引退届を受理せず、3ヶ月の懲戒処分という措置を下したことについては「寛大な対応でありがたい」とコメント。
「私の監督責任の問題です。悪い人間ではないが、お子様でただ明るいだけだから、はめを外してしまう。周囲にどれだけ迷惑をかけたか、よく考えて反省してほしい」
と弟子の不祥事に、親方自身も厳しくも優しい寛大な心で受け止めていたのをよく覚えている。
阿炎関の優勝は病床で
阿炎関はそれから幕下まで陥落した番付を順調に幕内の位置まで戻し、2022年の11月場所に幕内最高優勝を遂げる。
その時の阿炎関の優勝インタビューで、初めて錣山親方が入院していることを知る。
「師匠は入院中なので…」
えっ、そうなんだ。
どこか悪いのかな…と心配になったと同時に、きっとこの目で優勝を見届けたかったよね。
無念だったろうなと。
それでも、テレビ越しにも弟子の優勝はひとしおだったようで。
「おまえ、心臓で入院してるのにこれ以上ドキドキさせるなよ笑」
などと、冗談混じりで阿炎関に電話して優勝の喜びを伝えていたようだ。
阿炎関は師匠に恵まれたよね
先述の不祥事しかり、阿炎関は少々やんちゃな面もある力士だが、このやんちゃぶりを受け止められたのも錣山親方だったからではないだろうか。
生前錣山親方は、
「おれの顔にいくら泥を塗ってもらっても構わない。阿炎は好きなようにやれ」
というようなことを言っていたとか。
これ、もし他の部屋ならどうなっていたのか。
もしあの部屋のあの親方なら、この部屋の親方なら、なんて言うのかな。
などと余計な想像をしてみるのだが、想像すればするほど
「阿炎には錣山親方しかありえない」
のである。
あのやんちゃ坊主を、あそこまでのびのびとやらせてあげられるのは錣山親方意外にいないのではないか。
事実、懲戒処分明けの幕下からの再出発後は、阿炎関は人が変わったかのように真摯に相撲に向き合っていた。
また錣山親方のほうも、阿炎関のことは可愛くて可愛くて仕方がなかったのだろう。
自身の幼少期のあだ名を四股名にするくらいなのだから。
「まったく。こっちに来てまであんまり心配かけんな。
しっかりやれよ?」
と、かつて手を焼いたやんちゃ坊主を、天国から優しく見守る錣山親方の笑顔が容易に想像出来る。
かっこよかった寺尾関よ。安らかに。
私の相撲熱はここ3年ほどで高まったのだが、思い返せば相撲に興味を持ったのは小学生の頃。
若貴ブームもあり世間の相撲熱も相当だったのもあるが、とくに寺尾関は印象にのこっている。
ハンサムな顔立ちに、ソップ型の引き締まった体型、そして力強い突っ張り。
すべてがかっこよかった寺尾関。
私が相撲に興味を持ったきっかけは、寺尾関だったのかもしれない。
60歳というのはあまりにも早すぎるが、寺尾関、錣山親方の教えは今後もしっかりと受け継がれていくことであろう。
どうか安らかに。